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時刻は午前11時を回ったところ。
朝食抜きで胃にはカフェオレのラージサイズ以外は何も入っていないものだから、さっきから腹の虫が活発だ。
「っ……!」
下手したらオフィスに響き渡るほど盛大に鳴きそうなお腹を、腹筋を使って全力で引っ込める。呼吸ひとつとっても油断できない段階に来ていた。
「はぁ」
恨みがましく時計を見上げても、今日は遅番。休憩はみんなより1時間遅い、13時からだ。
さすがにもう保たない。
溜め息まじりに席を立つ。
午後の会議の資料をコピーするついでに、コーヒーでも買って来よう。ミルクと砂糖をたっぷり入れれば、胃もしばらくは静かになるだろう。
小銭しか入っていない薄い財布をスカートのポケットに忍ばせて、コピー機に向かう。
と、目の前に大きな影が差した。
「お先」
半歩の差で、背の高い人物に台を奪われていた。
営業のダンテ。
シャツの袖を捲り上げ、いかにも営業部らしいエネルギーにあふれた姿に苦笑いしつつ、一歩下がって彼のためにスペースを作る。
行動予定のホワイトボードによれば、ダンテは外回りに出ていたはずだったが。
「今日は戻り早かったね?」
「もうちょい長居してたら、危うくランチミーティングになるとこだったからさ」
彼はあからさまにゾッと肩を竦めた。
「それは……早く戻って賢明だね」
ダンテは食事と仕事を同時にするのが大嫌いだと言って憚らないタイプだ。何でも、おいしいごはんが不味くなるのだとか。 同感だ。いくらお高いランチコースを奢ってもらったところで、先方に気を遣いつつ会話を繋ぎ、その合間を縫って口に投げ込むなんて食べ方、シェフにも食材にも申し訳ない。もしも奢る側になれれば味も分かるようになるのかもしれないが、悲しいかな、ダンテも私もその立場にはまだまだ遠い。
「そもそも今日ダンテが行ってたとこ、メールでやり取り済ませたいタイプだもんね」
「だろ?」
ぐうぅ。
突然、ダンテの腹の虫が鳴いた。どうやら彼も空きっ腹を抱えていたようだ。
げっそりといった面持ちで、ダンテはスラックスのポケットに手を突っ込んだ。ミントタブレットの小さいケースを取り出す。
「食う?」
「うん。実は朝から固形物を食べてない」
「マジか」
てのひらに転がってきた2粒を、そのままぱくりと口へ放り込む。スキッと染みるミントは、お腹の足しにこそならないが、口の中がさっぱりして気持ちいい。
「ところで、コピーはまだ時間かかる?かかるなら、先にコーヒー買って来る」
「いーや、あと1枚……んあ?」
ガーッ。
コピー機が悪態をついた。
嫌な予感がする。
……ひと呼吸おいても、機械はうんともすんとも言わなくなった。まずい。
「ねぇ」
「ちょーっと待ってな」
バンバン。ダンテがコピー機を励ますかのように叩く。
そのぞんざいなやり方に、私は思わず吹き出した。
「そんな直し方で直るわけないでしょ!」
「けど、撫でたって直らねぇし」
今度はすりすりと優しく撫でている。
「だから……!」
本格的にお腹を抱えて笑いそうになる寸前、
「何を騒いでいる」
鋭い声が割って入った。
「あ」
「あ」
悪戯を見つかった子供のように、二人でぎくりと肩を揺らす。
振り返るまでもない。
経理の鬼、バージルだ。ダンテの双子の兄である。ベストまできっちり着込み、ネクタイも歪みない。
おそろしい展開になってきた。
バージルはどんな経費も細かく精査するので、私はボールペン1本の領収書でさえも彼に直接お願いしたことはない。(代わりにクレド部長には、たくさん文具や茶菓子のおねだりをしている。常々申し訳ないとは思っているが、これはまた別の話である)
鬼は氷点下の眼差しで、黙秘を決め込むコピー機と私とダンテを見やった。
「……また壊したのか」
なぜか真っ先に睨まれ、私じゃありません!とばかりにぶんぶんと顔を振る。
彼の『また』とは、一年ほど前にもこのコピー機が不調に陥ったことを指す。その時はダンテが手差しに厚紙を使って排紙が詰まったのだったが、それを無理やり引っこ抜こうとした彼の悪手も災いし、結局お高くつくメーカー修理となり──バージルから特大の雷が落とされた。
魂も凍るほどの恐怖がオフィスを満たしていたあの日あの時を鮮烈に思い出し、私の肩はぶるりと震えた。
「だ、ダンテがね」
そっとダンテに顔を巡らす。嘘はついていない。若干、仲間を売るような妙な痛みが胸を刺したけれど。
バージルの凍てつく目線を、ダンテは飄々と受け止めた。
「今回はふつーにコピーしてただけだぜ?」
「普通だろうがわざとだろうが、壊したことに違いはないだろうが」
地を這うような声で苛立ちながらも、バージルはコピー機のカバーを開いた。
その思い切りの良さに私は目を瞬いた。隣にしゃがみ込み、一緒に内部を覗く。何とも言えない埃っぽさと共に、中からむわっと熱気が押し寄せた。が、熱さに負けじと見つめてみても、一介の事務員には複雑な機構は何が何やら分からない。
バージルの方は事態を理解したらしく、あっさりと頷いた。
「ただの紙詰まりだ」
「直せるの?」
「物理的な破壊でなければ、修理など呼ぶまでもない。まずはトナーを持っていろ」
言うが早いか、両手で抱えるくらいのパーツをずしりと持たされる。それがトナーなのか、素人には全く判別がつかない。
「お、重い……」
よろよろと立ち上がり、すぐさまパーツをダンテに横流しする。そしてダンテが口を開く前に視線を戻した。文句は言わせない。
しかしせっかく両手が空いたのに、それからもバージルは大小様々な部品を回して来る。
その淀みない動きに、私は眉を顰めた。
「ちょっとちょっと。こんなにひょいひょい外して、ちゃんと戻せるの?」
バージルは何を今更と、ふんと鼻を鳴らした。
「よく見ろ。パーツに番号のシールが貼ってあるだろう」
「え、どこに?……ほんとだ」
「この程度、間違えるべくもない」
「そうですか」
清々しいほどドヤ顔な経理を尻目に、私とダンテはやれやれと目配せしあった。
ダンテは律儀に全パーツを抱っこしたままだ。さすがに申し訳なくなって、いちばん上の大きいパーツだけ引き受ける。
そうこうしているうち、ものの数分でコピー機は機嫌を直してしまった。
「直ったぞ」
「すげぇ」
ダンテが素直に感嘆の声を上げた。
「パーツが余るとかいうオチもなかったね」
「絶対やると思ったのにな」
軽口を叩き合うダンテと私を軽く睨み、バージルはわざとらしく首をポキポキ鳴らしてみせる。目が合ってしまったので、おっかない経理にぺこりと頭を下げた。
「……ありがとうございました。おかげで助かりました」
ダンテは特に感謝も見せず、さっさと自分の仕事の続きを再開している。
「これで……よし。俺の分は終わったぜ」
「待ちくたびれたー」
気がつけば、なんだかんだでもう12時を回っている。
無心でがむしゃらに大量のコピーを済ませると、ダンテがその束を持ってくれた。
「とっととメシ行こうぜ」
「あー。私は13時からだけど、それでいいなら」
「了解。今日は二風堂で食いたいんだよな」
「予算オーバーだなぁ。でも、ダンテがトッピング奢ってくれるならいいよ」
「卵くらいなら」
「商談成立!」
話しているうち、口の中がとんこつラーメンモードになる。そんな高級食、久々だ。
と、
「俺も行く。ダンテの奢りで」
真後ろでバージルの声が響いた。とっくにオフィスを出ていったと思っていたのに、そうではなかったらしい。
ダンテと二人、背後を振り返る。
「本気で言ってる?」
訝しむ私に、バージルは目を眇めた。
「何がだ」
「ラーメンだよ?」
「知っている」
「そう……?」
思えばバージルが普段ランチをどうしているかなんて、全く考えたこともなかった。案外、彼は普通にラーメンを食べる人なのかもしれない。似合わないけど。
「……もっと後から誘えば良かった……」
出費が増えて頭を抱えるダンテには、同情しかない。
「まあまあ。コピーがメーカー修理になってたら、もっととんでもないことになってたよ」
「どうせ俺の懐は痛まねぇし……」
なおもぶつぶつ零す彼を見ていたら、ふと、さっきのミントタブレットを思い出した。その残りが何粒あろうと、食後の3人で分け合ったら、あっという間に空っぽになるだろう。
しかも3人並んで歯磨きを頑張るという流れまでも頭に浮かんで、何だか可笑しくなってしまう。
待ちわびたランチは、とっても楽しい時間になりそうだ。



+ + +



タイトルは「11 a.m.」なのですが、1時間ごとにいろんなシチュエーションの双子エピソードを書いてみたい!と思い立ちました。
まずはオフィスもの!
双子は何書いてても楽しいです。

それでは、拍手をどうもありがとうございました♪


2022.3.14





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