aftermoon delight




夜の帳が下りて来る。誇らしげに煌めく宵の明星とは真逆、まんまる月はまだ朧で控えめだ。
縁側などあるはずもない洋館、せめて気分だけはとウッドデッキに折り畳みの簡素なテーブルとガーデンチェアを並べ、バージルとは月見に興じていた。
ウッドデッキ自体が表通りではなく邸宅の裏手にあるので、ガーデンライトを落とせば、テーブルの上に用意したオイルランタンの他に人工的な灯りは無く、ふたりだけのささやかな月見を邪魔されずに済んでいた。
今宵の主役に敬意を表し、そのランタンさえもギリギリまで絞っている。ちいさな炎が揺れる影を落とす卓上には、お手製の白玉あんみつが、目もあやな江戸切子の器によそわれている。
白玉は、月見にかかせない団子の代用品。月を愛でるのに食べ物は不要と言うバージルをは「あった方が風流じゃない」と一蹴し、和食や中華料理を扱うスーパーを梯子して、白玉粉やあんこなど材料をかき集めてきた。
昼間はネットでレシピを熟読。夕食を早めに軽く済ませてしまい、その後から白玉調理をいよいよ実践。
キッチンだけでなく、自分も肘や何故か鼻の頭まで粉まみれにしながら、人生初の白玉は無事に完成した、はずだ。
試食の段階では、なかなか上手にできたと思ったのだが。
「……どうかな?」
固唾を飲んで、木匙を手にいざ喫食というバージルを見守る。
バージルはちらとを横目で見、すぐに手元に視線を戻した。
「相変わらず美しい」
判定を待つ彼女を焦らすように、あんみつの器をくるりと回して目を細める。
この江戸切子の小鉢は、その横で静かに出番を待つ酒器と共に、日本で買い求めた品だ。
ペアで揃えるのなら旦那様の青に奥様は赤でしょうと店主に言われて、バージルの態度が氷点下まで凍ったことを思い出し、はこっそり苦笑いした。
結局は青と紫のセットを買って来たのだが、どちらがどちらを使うとは特に決めることなく、その日の気分で選んでいる。
今日はバージルが紫を使っていた。
彼の手がなかなか白玉に伸びないことに痺れを切らし、は徳利を持ち上げた。
「美酒もどうぞ」
「ああ」
バージルがお猪口を差し出す。
透明な酒が、とととととっと実に美味しそうな水音を立て、酒器を満たす。日本酒は最近はこちらでも手に入りやすくなった。彼が銘柄を指定するようになる日も近いだろう。
バージルがゆっくりと酒器を傾けると、は魅入られたようにその仕草を見つめた。
視線を受け、バージルが徳利をつまむ。
「おまえも飲むか?」
「うん」
別に催促したわけではなく、ただ所作に見惚れていただけだったのだが、それは特に伝えないでおく。
は青のお猪口を両手で差し出して、有り難くもバージルからお酌してもらった。
しかし、とととととっと軽快に続くはずの水音は、ととっ、くらいであっさり途絶えた。
「え。こんなに少し?」
「酔っ払ったら、せっかくの白玉の味も分からんぞ」
「こんなちょっとじゃ酔いたくても酔えないよ!」
底にうっすらと注がれただけの酒をしょんぼりと見る。更に文句を言おうとしてお猪口を持ち上げ──は口を閉ざした。表面に月が映り込んでいる。青い硝子の複雑なカットから零れる光のうつくしさも相まって、確かにこれだけで酔えそうだ。
普段使わない、とっておきの酒器。
(あ)
ふと兆した思いに隣を見上げれば、同じようにこちらを見ていたバージルと目が合った。
「あの」
「どうした?」
「お月見もいいけど、お花見の時にもこのお猪口を使いたいね」
「そうだな」
同様、月の代わりに桜の花びらが酒に浮かぶ様を思い浮かべたのだろう、バージルの口元の影が微笑のかたちに変わる。そろそろランタンの火では表情が分かりにくくなって来た。
「さて。頂こうか」
やっと、バージルが酒器から木匙に持ち替えた。つるりとした白玉を難なくひとつ掬って、口に運ぶ。
「……」
「……どう?」
まさに身を乗り出す勢いで、が顔を寄せる。
「……まあまあか」
妙に歯切れが悪い。
急激に心配になって、も自分の器からひとつ食べてみた。
「……あれ?」
なんだか固い。さすがに一晩置いたお餅とまでは言わないが、相当に根性のあるむちむちとした白玉に仕上がっていた。
「えー?味見した時はやわらかかったのに」
どうやら、試食の際に形の悪い小振りな白玉を選んだのが裏目に出てしまったらしい。
せっかくバージルに喜んでもらおうと思ったのに、これではお月見気分もぷすんと萎んでしまったようだ。
「ごめん、茹で直してみる。うまくいくかは分からないけど」
二人分の器に手を掛け、立ち上がる。
が、もてなしを受ける当の本人がそれを遮った。
「いい。食えん事もない。ここに居ろ」
「でも、せっかく──あ」
なおも移動しようとする彼女の手首を、バージルが引く。思いがけず力強く引かれたため、は元いた椅子ではなく、その隣に雪崩れ込む羽目になった。即ち、彼の膝の上に。
意図していなかった突然の接触に、は慌てた。
「ごめん」
あたふたと立ち上がろうとするが、腰にバージルの腕が絡み付く。
「ここに居ろ」
先程と同じ台詞、だが声音のトーンが若干高い。
(何か楽しそう)
もしや、一瞬でこの悪戯を思いついたのか。
今の位置からでは、ぐるりと振り返らないと彼の様子は窺えない。更に、振り向くのも難しいくらいに姿勢が固定されていた。
「……ねえ、このチャイルドシート苦しいよ」
「座っている子供が今にも暴れて落ちそうなのでな」
「もう」
むくれると、さざめきのような笑いを背中に感じる。酒を召して、彼はご機嫌のようだ。
「もう……」
くたりと力を抜いて、バージルに寄りかかって夜空を見上げた。ひとりで座っていた時よりも、月が近い。
「綺麗な月だね。眩しいくらい」
「ああ」
虫の声。芝生を渡る風。時折遠くでクラクション。酒器に酒が満たされる音、匙が器を撫でる音。恋人の規則的な呼吸音。
月光が降り注ぐ音まで聞こえそうな、しずかな夜。
やがてバージルが空になった器を置いた。
「顎が鍛えられたな」
「茹で直すって言ったのに」
「一度冷やしたものを茹でたら不味くならないか?」
「どうかな。もしかして、お鍋の中で全部くっついてひと塊になったかも?」
「それよりは固い方がマシだったな」
鍋の中で鏡餅のように大きな塊になった白玉を思い浮かべ、ひとしきり笑う。
笑いが収まると、はかくんと肩を落とした。
「せっかく美味しいの食べてもらおうと頑張ったのにな」
バージルがお猪口を目の高さに持ち上げ、酒を注ぐように促す。
「評価は来年に持ち越してやろう」
「分かりました、マスター」
徳利に残った酒を全て彼の器に移し、
──くしゅん。
「寒いか?」
粟立つ彼女の腕を、バージルがさすった。
「そろそろ中に戻るか」
未だ膝の上のごと立ち上がりかけた彼に、
「待って」
振り向いて、その首に腕を回して抱きついた。
「……もうすこしだけ」
「それは構わないが。おまえ……」
バージルがの首筋に手の甲を当てた。
「熱くないか?」
「んー。酔ったかな」
バージルの肩口に顔を埋める。慣れ親しんだ香りに、は心の底からほっとする。……が。
「ねえ」
目顔で応える彼のおでこに、ひたりとてのひらをつけてみる。
「バージルも熱っぽくない?」
「そうか?」
バージルはちらと酒器に目をやった。ほっそりとした華奢な徳利、中身も半分ほどしか入っていなかったのだが。
「俺も酔ったか」
深まる闇に燦然と輝く月が、恋人の黒髪を背後からきらきらと縁取っている。得難い絹糸のような髪に指を通し、そのひと房にくちづける。
「もう暫く涼むとしよう」
今一度、月光を受け止めるようにお猪口を捧げ持つと、バージルはひといきに残りの雫を呷った。







→ afterword

5SE、楽しみすぎますね…!

作中の切子を買う時のお話は、花火大会とセットでと思っていたので、完全にUpの時期を逃しました。いつか必ず!

タイトルはgleeで歌われてて気に入った" afternoon delight "から。健全な曲調なのに健全じゃない歌詞が素敵です。

バージルさんはお酒に強くても弱くても、どちらでもおいしいなと思います。
今回は弱めで。
あんまり飲み慣れないお酒には弱いとかだとかわいいですね!
ダンテさんはどんなお酒でも大丈夫なイメージしかないですが、若い頃からたくさん失敗して鍛えられたんじゃないかなと想像しています。
それにしても、酔い潰れる双子は絶対かわいいですよね…泣き上戸に笑い上戸、キス魔に絡み酒、何でも許しちゃいます!

それでは、お読みくださってありがとうございました♪
2020.9.26