24日の薄暮の頃、ダンテとがやってきた。
「メリークリスマース!」
約束した通りおめかし姿で現れたふたりを、バージルとが揃って出迎える。
と、珍しくバージルがダンテに近づいて行き、上から下までつらつら眺めた。挙げ句、不服そうに盛大に溜め息をつく。
「お前はもっときちんと正装して来られなかったのか?」
「こんなにボタン付いてるシャツを着てても、まだ不満か?」
ダンテはうんざりと胸の辺りを親指で指した。
確かにダンテは、(おそらくの手で)ピシッとアイロンの掛けられた真っ白いシャツを、きちんと襟元のボタンまで留めて着込んでいる。
とてもよく似合っているのだが、バージルにはまだまだ物足りないらしい。
「……ふん」
バージルは何か言いかけたものの、とりあえずは一歩下がった。
代わりにが前へ進み出る。
「これ、おみやげ!」
がバージルにシャンパンを、ダンテがに丸い帽子のケースのようなものを手渡した。
「これは?」
温かい箱に顔を近づけ、はくんくん鼻を利かせる。よく知る、香ばしい匂い。
「チキンだ!ありがとう!」
「このシャンパンもなかなか良い。もう少し冷やして、今夜の一本目はこれを開けるとしよう」
バージルはボトルを持ち上げて、さっそく冷やしに向かった。
「どっちのお土産もうれしいんだけど……」
はすたすた歩いて行くバージルのシャンパンと、自分の抱えたチキンの箱を見比べた。
「……どうして私にチキン?」
納得いかないに、
「そりゃやっぱ」
「似合うから?」
とダンテは同時に吹き出した。



通い慣れて“アメリカでの第二の家”となったバージル達の家を、はもう迷うこともなく見て回った。
窓枠、暖炉、ドアと、あちこちにクリスマスの飾りつけがなされ、目を和ませる。
カーテンレールの上のクリスマスカードは、の手は届かないだろうから彼女の伴侶が飾ってくれたのだろうかなど、想像してみるのも楽しい。
……が、不思議なことに、これだけ飾りがあるのに、肝心のクリスマスツリーがリビングにない。
あと1ピースだけ足りないパズルが壁に掛けられているような、どこか落ち着かなさをは感じた。
ー。ツリーはないのー?」
キッチンにいるに声を掛ける。まだ何やら準備中ということで、ダンテとはキッチンへ入れてもらえないのだ。ご丁寧にも、扉が固く閉ざされている。
「ツリーはね、キッチンにあるのー」
の返事の声もくぐもって遠い。
「そうなんだー」
「ちょっと待って、もうすぐ……あ。もういい?」
バージルに確認しているようだ。
「……いいってー!たちもどうぞ、キッチンに来て!」
がドアを開いた。
「……わ!」
驚いたことに、キッチン入ってすぐにツリーが飾られていた。
の身長ほどもありそうな樅の木は綿の雪と電飾に包まれ、ちゃんとてっぺんに星のオーナメントを戴いて誇らしげに立っている。
「キッチンがパーティー会場なんだ?」
「そう!そして今年のパーティーのホストは、なんとバージルなの!」
「ええ?」
意外さにが思わずバージルを見る。彼はカウンターの奥で、後ろを向いてまだ何か準備している。
「さ、どうぞお客様!」
がカウンターのスツールを引いた。
「じゃ、えっと。失礼します」
が座ると、も隣にさっさと座ってしまった。
そこでようやく、バージルがこちらに向き直る。
「あれ?バージルさん、着替えたんですか?」
「ああ」
バージルは先程までは着ていなかったはずのベストを羽織り、首元には青いネクタイまで締めている。
いつもと違うのは、ネクタイ姿の彼だけではない。
目の前のL字カウンターの上にはカナッペやサンドイッチにサラダといった軽食から、ローストビーフにドゥフィノワにフランスパン、茹で野菜のテリーヌにコンソメスープといったメニューが、大皿や鍋ごとカジュアルに並ぶ。
そして、それら料理よりも目立っているのが、酒瓶の数々。
とりどりのリキュールにワインクーラーがバックバー然として——場所はカウンター手前なのでバックではないが——並べられている。
これは、つまり。
「……バーなの?」
「バージル、形から入るから」
がこっそりとに耳打ちする。
「聞こえている」
ぴしりと切り返したもののそれ以上は怒らず、バージルはフルートグラスを3つ並べた。
「まずはシャンパンにしよう」
冷やしておいたたちの手土産のシャンパンを、クーラーから取り出す。水滴をタオルで拭き、キャップシールを剥がす。コルクを押さえながらワイヤーを外し……バージルはスムーズな仕草で開栓を終えた。
「静かに開けちまって、つまんねぇの」
ダンテがキッチンへ入ってきた。
「こういう時は派手にパァンと開けるべきだよな」
カウンターにスツールは二脚しか用意されていなかったので、仕方なく後ろのダイニングチェアを引き寄せて席につく。
「それで天井のシャンデリアを割る所までがお前のやり方か?」
バージルは手元から目を離さず応酬した。
とっとっとっとっ、しゅわーっ……実に心地よい泡音を立てて、シャンパンが注がれる。
「あ、ロゼだったんだ」
がうっとりと桜色の液体を眺めた。
「ラベルを見なかったのか?」
「……。それを紹介するのがバーテンダーさんだと思います」
「そりゃそうだ!」
ダンテが吹き出し、これまた用意されていなかった自分の分のグラスをさりげなくバージルに突き出した。それはロックグラスだったので、バージルは嫌そうな顔をしながらも、ダンテのためにシャンパン用のフルートグラスを取り出した。
四人にシャンパンが行き渡ると、バージルはボトルのラベルを三人に回して見せた。
「これはフランス、ヴーヴクリコのロゼ。映画でもよく見かける有名なシャンパンだ」
説明しながら、彼は早くも少々疲れた表情を浮かべている。
「色合いは明るく、複雑かつ繊細な果実の香り、余韻は……」
ついに面倒そうに、バージルはボトルをカウンターに置いた。
「とにかく飲め」
「えええ!仕事放棄?」
「でも、ほら、濡れた犬の匂いとか説明されたって分からないし」
のフォローに、まあそうかもねと笑いながらはシャンパンをひとくち含んだ。
「おいしい!とっても高級な味がする!」
「高級は高級だな」
言い得て妙な感想に、バージルが苦笑した。
に続いても口をつける。ダンテと酒屋——前回の訪米で、が迷った時に見つけた店——にて、パーティーにお薦めのロゼを聞いたらこれを出してくれたのだ。
「これ、ほんとに美味しい」
はごくごくと喉を鳴らす勢いで飲んでいる。
「喜んでもらえてよかった」
ほっとしたの隣で、何かがピピピピピと鳴り出した。
「携帯?」
「ううん、タイマー。オーブン、温まったかな」
が立ち上がり、オーブンの様子を確かめた。
「いいみたい。じゃ、すぐ温めちゃうね」
熱々の天板に、これもたちから貰ったチキンを並べていく。
「本格的だね。レンジ使わないの?」
が訊ねると、は悲しそうに振り返った。
「この前、いきなり壊れちゃったんだよ。クリスマスでレンジ大活躍のはずだったのに、ひどいタイミングでしょ?」
「それは大変だ……」
「オーブンあって良かったよ。これもないとなると、温めもできなかったし」
もともとちょっと冷めていた程度だったチキンを、焦がしてしまわないうちに取り出す。途端にスパイスのいい匂いが立ち込めて、それぞれのお腹を刺激した。
「はい、お待たせしました。チキンの登場ですよー!」
取り皿を配ると、ダンテが一番乗りでチキンを覗き込んだ。
「オレはサイね!」
「お客様、部位指定は困ります」
はつんと首を振ってダンテの皿にキールを配り──ダンテがしゅんとしかけたところで、ご指名のサイを乗せた。
は?」
「じゃ、小さめのそれ」
「ウィング美味しいよね。バージルはドラムでしょ」
「リブでいい」
「いつもドラムなのに、遠慮しなくていいよ」
「……。」
「ドラムにこだわるとか、ガキだなー」
「たっ、食べやすいからね、ドラム!」
今日はが必死にバージルを援護する役回りのようだ。
のフォローのおかげか、それともホスト役で喧嘩を始めてはいけないと自重したか、バージルはダンテに反論もせず、ワインクーラーから次の飲み物を取り出した。シャンパンは4人によって既に飲み干されている。
「肉料理には、やはり赤ワインだな」
出番終了のフルートグラスは後ろの流しに片付け、ワイングラスを4客そろえた。冷やしておいたワインを取り出し手際良くコルクを抜いて、それぞれにサーブする。
「これ、この前買ってきたワインだね」
がボトルを手に取った。
「きゃれら、っていうカリフォルニアワインらしいよ」
に回す。
「ラベルも英語だと読みやすいね。きゃれら?」
の発音をもらってしまったらしい。バージルは真顔でゆっくりと瞬きをした。の発音の矯正はダンテの役目なので、直接指摘するつもりはない。
「……“ Calera ”。この銘柄はピノ・ノワールを使っていて……」
「ふむふむ」
滔々と説明し始めたバージルと、メモを取りそうな勢いで聞き入る
はワインに興味があるのか、発音に自信がないながらも葡萄の品種をいくつか上げ、それについてバージルも細々と知識を添えている。
ラベルを間に熱く語り合い始めた二人を横目に、ダンテはぐいっとグラスを干した。期せずしても同じようにワインを空ける。
「酒蔵がどこだか分からなくたって、ブドウの品種の区別がつかなくたって、美味いもんは美味いよな」
「そうそう!」
二人はグラスをチンと鳴らした。
聞き咎めたバージルがぴくりと双眸を燃やす。
「産地と品種を簡単にでも覚えてくれれば、好みではないワインを避けて通れるんだがな」
視線を向けられ、がそっと肩を竦めた。
「あれはー……」
「何かあったのか?」
ダンテがお代わりをと自分のグラスに注ぐ。
「安いワインに冒険したら、あんまり美味しくなかったことがあって」
「アレははっきりと不味かった」
バージルは、今それを飲んでいるかのように苦く唇を結んだ。
「でも、マズいマズいって言いながら全部空けたし」
「秘蔵のチーズが三分の一に消えた事を忘れるな」
「あれはあれで楽しかったじゃない。私が料理に使おうって提案したら、バージル、『いや、料理までも駄目になる』とか言っちゃって。他にも、どうやったらこんなにマズいワインが作れるんだ!とか」
で、いつもより言葉の多いバージルを楽しんでいたのだ。彼の口から発する言葉が全てワインの文句だとしても。
思い出し笑いを浮かべるにつられ、バージルにも光景がまざまざと蘇ってきた。自然、口元が綻んでしまう。
あのワインは不味かったが、確かにふたり、美酒を嗜むときより盛り上がってはいたかもしれない。
「そういえばあの時もおまえは酔っ払っていたな。……ほら、そろそろペースを落とせ」
バージルがからワイングラスを取り上げた。
代わりにオレンジジュースを置く。
はむぅっと唇を尖らせた。
「ジュースぅ?」
「いや……」
バージルはすこしだけ笑い、高い位置からグレナデンシロップをタンブラーの中央めがけてしずかに垂らした。とろとろと赤がグラスの底に滲む。
「テキーラ・サンライズだ。かなり薄いが」
出来上がったカクテルを、指での前に滑らせる。
グラスが動いた弾みで、赤いシロップがゆらりと蜃気楼のように揺らめいた。
「わぁ、綺麗!」
がぱちぱちと拍手した。
「お店みたい!すごいすごい!」
興奮した眼差しで、はなおもバージルに賞賛を送り続けている。
その反応を見て、バージルはやはり今日の趣向は正解だったと一人満足した。
バーテンダーやソムリエに弱いのは、だけではないらしい。
制服がいいのか仕草がいいのか、或いはそのどちらもか——とにかく、仕事を極めたプロフェッショナルに彼女たちが惹かれてしまうのは、仕方ないことなのかもしれない。
と。
「あんなの、コツも何にもねぇだろ。シロップは比重が大きいから勝手に沈むんだよ」
ダンテがむすっとバージルを睨んだ。『余計なことはするな』と目が語る。
バージルも鷹揚に頷いた。
「その通り。コツなど要らんから、お前も作れ」
指で自分側のカウンターを叩き、シェイカーをダンテの前に滑らせる。
派手に到着したそれをぱしんと受け止め、——ダンテも理解した。
バージルが正装して来いと言ったのは、最初からダンテにもバーテンダーの真似事をさせるつもりだったのだ。の前でバージル一人をかっこつけさせる訳がないと、自分が乗り出すのを見越して。
(面白ぇ)
回りくどいが、にいいところを見せられるのなら大歓迎だ。
「トランプも二組あればEightができるしな」
「そういうことだ」
乗ってきたダンテに、バージルもにやりと頷いた。
トランプは一組だけでも遊べるが、二組あれば更に派手なゲームができる。
。面白くなるから、ちゃんと見てろよ」
仰々しく立ち上がり、カウンターの裏に回る。
せっかくきちんと着ていたが、動きやすさ優先でシャツの袖を腕まくりしてしまって、手をよく洗ったら準備完了。
「さ、とびきり素敵なお嬢さん。ご注文は?」
の前に両腕をつく。
「え?」
はぱちぱちとダンテを見上げた。
「ダンテもカクテル作ってくれるの?……ていうか、作れるの?」
「もちろん。何でも仰せのままに」



そこからのバージルとダンテは、さながら映画『Cocktail』を演じているようだった。
「何か赤いカクテルがいいな」
がダンテを見ながら注文すれば、
「そう来ると思ってた」
もうダンテはカルヴァドスを手にしているし、バージルは冷えたカクテルグラスをダンテの前に置いている。
「じゃあ、私は甘くて飲みやすいの。でもオレンジジュースより爽やかなのがいい」
がバージルに注文すると、ダンテがウォッカの首を掴んで、そこを支点にぐるっと横へ放り投げた。
普段なら「危ない!」だの「割れるだろう!」だのと怒るバージルも今は何も言わずに、いやそれどころか余裕綽々の澄まし顔で瓶の胴を受け止めている。
スピリッツに続いて、ぽんとグレープフルーツが空を飛ぶ。左手ひとつでキャッチして、バージルはグラスとフレッシュジュースの用意を始めた。
半分に切ったグレープフルーツの表面にタンブラーの縁を回すように当てて濡らし、そこに塩をつけて適度に払い落とせば、スノースタイルグラスの出来上がり。残りのグレープフルーツ半分は絞り、タンブラーに注ぐ。
「氷くれ」
ダンテがシェイカーをバージルに向ければ、バージルはそちらを見もせずにぽいぽいと氷を投げ込む。からんからんと氷が5つ入ったところでダンテはシェイカーを戻し、それが見えているかのようにバージルもぴたりとトングを止める。
ダンテは人差し指と中指の間で挟んだメジャーカップでカルヴァドスを器用に計り取り、手首を奥へ返してシェイカーに移す。氷で満たされた容器に、琥珀の液がゆたかに輝いた。そこへ更に、ライムジュースとグレナデンシロップを追加する。
レシピ通りの材料が揃うと、ダンテはシェイカーを身体の右斜め前に持ち上げた。シェイカーが始めはゆっくりと、やがて速くリズミカルに振られる。……が、正統派なシェイクはほんの最初だけ。
「ショウタイム!」
にっと笑うやいなや、手首のスナップをきかせてシェイカーを高く放り投げる。手でキャッチするのかと思いきや、右肩に乗せて、そこから滑り台のように肘までころころ転がせる。弾みをつけて肘の先でシェイカーを自分の真上に飛ばし、シェイカーが宙を舞う間に自分はくるりと一回転して、最後は左手逆手でキャッチする。もはやシェイクでも何でもない、アクロバティックなパフォーマンスである。
冷えたグラスに、充分にシェイクされた酒を注ぐ。
最後にそこらの花瓶から失敬した赤いミニバラをグラスの脚に添えて、
「お待たせしました、ジャック・ローズです」
気取った指先でにカクテルを差し出した。
一方、万が一ダンテが隣で何か失敗した時のためにと身構えていたバージルも、再び自分の作業に戻った。シェイカーにウォッカを注ぎ、しっかりと蓋をしめて振る。かしゃかしゃと、実に涼しげな氷の音。振る時間はダンテよりも随分と短めだ。
塩で縁取られたタンブラーにシェイクしたウォッカを最後の一滴まで注ぎ切り、長いバースプーンを中指と薬指とで軽やかに回し、手際よくグレープフルーツジュースと掻き混ぜる。
最後にカットしたグレープフルーツをグラスに腰掛けさせて、
「ソルティドッグだ。少々薄めの、な」
の前にことんと置く。
できたてのカクテルを前に、けれどは首を傾げた。
「ソルティドッグって、シェイクしたっけ?」
「普通はしない」
バージルはカウンターをタオルで拭きながら答えた。
「だが、強い酒は氷と振ると空気を含み、角が取れて丸く飲みやすくなる。振りすぎると水っぽくなるのが難しい」
「苦いバージルにもシェイクが必要だな」
横からダンテがからかう。
「苦味酒(アンゴスチュラビターズ)はカクテルに必要不可欠な事を知らんのか?」
バージルがダンテを睨んだ。
せっかく綺麗に並んだ二人のカクテルを前に、流れ出した不穏な気配。
「いただきます!」
が慌ててグラスに口をつけた。縁の塩味とグレープフルーツの苦味が後を引く。
「あ、クセがなくてやわらかい感じ。でもこれ、ほんとにウォッカ入ってる?物足りないくらいかも」
「おまえにはそれくらいが丁度いい」
バージルは自分にも同じものを作り始めた。
も飲んでみな」
ダンテがに顎をしゃくった。
「うん。じゃ、私もダンテ作を。……凄く綺麗で、ちょっともったいないけど」
も赤いカクテルを傾けた。
グラスを顔に近付けると、ふんわりとりんごの香りが優しく香る。
「……おいしい!」
は目を真ん丸くしてダンテを見た。
「ダンテがこんな繊細なカクテル作れるなんて知らなかったよ」
もったいないと思いながらも、口当たりの良さにどんどん飲み続けてしまう。
「カクテルって材料の準備が面倒なんだよな」
けど今夜はいくらでも作ってやるぜ、とダンテは出番を待つフルーツの山に視線を送った。
「次いくか?」
「うん!」
二人の会話に、バージルが驚いてのグラスを見た。
「もう飲んだのか」
のグラスは底にわずかな泡を残すのみ。
「そういえば、はお酒に強かったよね」
友人につられるように酒に手が伸びたを、バージルがタンブラーに手で蓋をして止めた。
「強いかなぁ。よく分からない」
は空けたばかりのグラスを持ち、頬にくっつけた。飲み干したばかりのそれは、まだつめたい。
ダンテがから空のグラスを受け取った。
「少なくともオレはが潰れたの見たことないな」
「私もダンテが潰れるとこ見たことないよ?」
「そりゃ、オレは強いから」
今度飲み比べてみるかなどと、ダンテとはじゃれている。
この二人と酒で勝負しない方が賢明だな、とバージルは思った。
飾られていたバラを指に巻き付けると、はダンテにそれを見せてにっこり笑った。
「じゃあ、次も赤いのを!」
「OK」
ダンテは恋人にウインクで答え、さてどうするかと腰に手を当てた。
赤いカクテルは数多くある。それでもやはりには、綺麗なもの、美味しいもの、何か意味を含んだものを作ってやりたい。
最初にマンハッタンを思いついた。が、まだ何かが足りない——
「ダンテ」
(ん?)
いきなりバージルがブランデーをダンテの目の高さから落とした。慌ててそれを掴む。
続いてバージルはさっき開けた赤ワインと、の指のバラに視線を送った。
ブランデー。赤ワイン。バラ。
(なるほどね……)
ダンテはもう一度しっかりと腕まくりした。
ブランデー、ドライベルモット、グレナデンシロップ、オレンジジュース、クレーム・ド・ミント。材料をすべてシェイカーに合わせて振り、クープグラスに注ぐ。
最後に表面にそうっと赤ワインを滲ませれば、真紅の薔薇のようなカクテルの完成だ。
「ブランデーとバラ繋がりで、アメリカン・ビューティーを」
「さっきよりも大人っぽい赤だね……ちょっと気後れする」
は気恥ずかしそうに、でもとてもうれしそうにひとくち飲んだ。
「……うん!何かいろいろ混ぜてたからケンカしそうだと思ったけど、よくまとまってる!すごく美味しいよ」
「オレの腕もなかなかだろ?」
椅子を反対側から引き寄せて、ダンテも座った。
座ったまま自分用にジンリッキーを適当に作り、しばらくバーテンダー業はお休みのようだ。
「でも、どうしてバラ繋がり?」
がグラスを眺めた。赤のグラデーションが花びらを表現しているのだろうか。
「そういう品種があるんだってさ」
他のバーテンダーからの受け売りで、ダンテもよくは知らない。それに、ダンテがグラスに込めた“意味”はバラの種類ではない。
(アメリカの理想)
いや——ダンテの、と言うべきか。
「もっと説明できなければ、バーテンダーとしてはともかく、恋人として失格だな」
この場でもう一人、意味を理解するバージルが、先程の“苦味酒”の仕返しとばかりに眉を聳やかした。
「……っ」
たちまちダンテの耳が赤く染まる。
「な、何?どういうこと?」
は首を引いてグラスとダンテを交互に見た。
ダンテは、うぅ、とか、あー、とか言い出しかけては止めた。
酒の勢いを借りて茶化してしまえば語るのは簡単だが、いくらなんでも勿体ない。
「……明日ふたりになったら説明する……」
「……?うん、いいけど……?」
完全に納得できないまでも、今はどうやら説明できないらしいダンテに、もぎこちなく頷いた。
重い空気が流れる。気まずさが押し寄せたところで、氷がからんと高い音を立てて沈黙を破った。
「私も、そろそろ次の!」
が空のタンブラーをバージルに持ち上げる。
大人気ない突っ掛かりで微妙な雰囲気を作ってしまい、さすがに少々後悔しかけていたバージルは、ホッと表情を緩めた。
「何がいい?」
「今度は青いカクテルがいいな」
「青いカクテルか」
「うん」
オーダーに、バージルは顎に手を当ててバックバーを見下ろした。
(オーダーは嬉しいが)
青いカクテルは往々にして下品な色合いになりがちだ。特に、手っ取り早くブルーキュラソーを使った場合。
「こいつは?」
ダンテがボトルをつんと指で叩いた。
(……なるほど)
ダンテが示したのは、パルフェタムール。
悪くない、とバージルはボトルを手に取った。
これとマンゴーリキュール、グレープフルーツジュース、クレーム・ド・ミントをシェイクする。氷を詰めたタンブラーに注いだら、トニックウォーターで上まで満たす。
軽く掻き混ぜれば、青のグラデーションが美事な一杯の出来上がり。
「ナイト・フォールだ」
「……ヴァイオレット・フィズにするかと思ったのに、やらしい方向に行ったな……」
「何か言ったか?」
「な、何でも」
ダンテを視線で威圧した後、バージルはカクテルをの前に置いた。
「本来はフルーツで飾ったり、ストロー二本を添えたりするが……」
「じゅうぶん綺麗だよ」
はグラスをぐるりと回して眺めた。
「かき氷のブルーハワイみたいな真っ青なのが出てくると思ってたけど、こんな穏やかな青もいいね」
味は南国を感じる、賑やかな甘さだ。アルコールの強さはそれほど感じない。これもバージルが手加減したのだろう。

ダンテがリキュールのボトルをに渡した。
「このパルフェタムールって、媚薬なんだぜ」
「び……」
はつんのめった。
「媚薬ぅ!?えええ!?嘘でしょ!?」
「バージルに聞いてみな」
ダンテは真顔の下に爆笑を必死で堪えている。
はあわあわとバージルを見た。隣でもどきどきはらはらと成り行きを見守っている。
「バージル、嘘でしょ?ねえ?」
問われ、バージルは人の悪い笑みを唇に刻んだ。
「……色と香りからその効果があると、かつては言われていたようだ。無論、そんな効果は無い。……多分な」
「かつてのお話なんだよ、ね……」
はそそそとグラスから身を引いた。昔の逸話とは言え、バージルが語ると本当に効果が生まれてしまう気がする。
すっかり怯えてしまったに、たちまちバージルは笑みを引っ込めた。
「冗談だ。そんな怪しい酒が世間に流通する筈が無い」
「そ、そうだよね……うん」
改めて、は青の酒を含んだ。媚薬。媚薬……
「あとさ、。その」
ダンテが再びにやりと切り出した。が、全て言い終わる前に、
「ダンテ!」
バージルが制した。
「余計な事を言うな。酒が不味くなるだろう」
「いいや。美味くなると思うけどな?」
ダンテはアメリカン・ビューティーの件を根に持っているようだ。
「何を言おうとしたの?」
の頭を越え、ダンテに声を掛ける。
ダンテは手に持ったタンブラーの底を振ってバージルを指した。
「パルフェタムールの意味を聞いてみな、って言おうとしてたんだよ」
「意味?」
はきょとんとボトルを見た。ラベルはバージル側を向いていてこちらからは見えない。
「どういう意味なの?フランス語っぽいけど」
バージルはひとつ頷いた。
「ああ、フランス語だ。意味は“完璧な、あ」
ついさらりと答えてしまいそうになり、バージルは間一髪で言葉を飲み込んだ。
せっかく媚薬の誤解もときかけたのに、これではまたがカクテルに口をつけるのを躊躇ってしまう。
「完璧な、何?」
見上げてくるに、だからバージルは意味ありげに妖しく目を細めるだけにしておいた。
「もっと夜が堕ちてから教えてやろう」



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