……それから約一ヶ月後。
当初の私の心配を他所に、二人は真面目に働き続けていた。
そして、何と今日は給料日。
(まさか二人ともちゃんと貰えるなんて……)
正直、ダンテが気まぐれを起こしたり、バージルがキレたりとかして、どちらか(あるいは両方とも)仕事を辞めてしまってもおかしくないと思っていたのに。
(今日は美味しいもの作ってお祝いだ!)
自分の仕事の帰り道、スーパーで夕食の材料と、それからシャンパンを買った。一本じゃ足りないだろうけど、こういうのは気分を味わうもの。ビールなら冷蔵庫にあるし、それも足りなくなったらダンテがひとっ走り行ってくれるはず。
「あら、ちゃん。何かいいことあったの?」
路上で、近所のおばあさんに声を掛けられた。そんなに私は嬉しそうに歩いてたんだろうか。
「あ、はい。今日は同居人の初給料で」
シャンパンの瓶を持ち上げて見せる。
「まあ」
おばあさんはちいさな目を大袈裟に見開いた。
「そうなのー。ダンテくんには孫が遊んで貰ってるし、バージルくんには新刊を予約して貰ってるし、うちからもお給料あげたいくらいよー。たくさんお祝いしてあげてねぇ」
「はい……」
ほっほっほっと笑いながら、おばあさんは手を振って帰って行く。その丸っこい背中を見送り、私は苦い心境だった。
(あいつら……)
肩を竦める。
そうなのだ。
外出が増えたことで、ついに周りの人たちも私の部屋に双子が暮らしていることに気付いたのだ。
けれど──もちろん裏でいろいろ憶測など囁かれているには違いないが、あのおばあさんの反応に表れていたように、思ったほど風当たりはきつくない。
何せ子供たちはおもちゃ屋のダンテのことを知っているし、大人たちは図書館のバージルのことを知っている。心象が良いのも、二人の普段の働きぶりに寄る所が大きいのだろう。
(結果オーライってやつね)
近所の噂については、気にしないようにしよう。そうだ。やましいことは何もない。
顔を振って、玄関のドアを開ける。
玄関に並べられた邪魔な男物の靴(彼らには日本式を教え込んだ)を、端に追いやる。
気付けばいつの間にか、あちらこちらに彼らの物が増えていっている。しかもどれも大きいから、私の分より我が物顔で居座っているような。
(ま……いいか)
白いスリッパを履くと、いつもは絶対してあげないことだが、二人のスリッパもそれぞれ並べてあげた。今日だけ特別サービス。
「さてと」
二人が帰って来る前に、夕食を作らなくては。
包丁を振るったり鍋をかき回したりしているうち、玄関に喧しい声が響いた。
がたーんと乱暴に開けられ、ドアが悲鳴を上げる。
「おかえりー」
気持ち悪いくらいの猫撫で声を作って、帰還した労働者たちを労った──のに。
「ったく、せっかく店長が気ィ利かしてくれたんだから、あんたも喜べばいいだろ!」
「クラッカーに花火の詰め合わせなど貰って喜べるのは、子供かお前くらいなものだ」
「仕方ねぇだろ、おもちゃ屋なんだから。あんたなんか手土産ひとつねぇくせに」
「そうでもないがな」
「はぁ?」
ダンテが立ち止まった。
そして睨み合い、である。こんな喧嘩はしょっちゅうなので、もう慣れた(そもそも私は連中の命懸けの喧嘩を3回も見ているのだ)。
「あの!!!」
声を張り上げ、双子の会話に乱入する。
「おかえりって!聞こえた?それから近所迷惑だから喧嘩しながら帰って来るのはやめて!」
一気にまくしたてる。二人はちょっと呆気に取られてこちらを見た。
「まったく……」
二人と暮らすようになって、肺活量が増えた気がする。二人の喧嘩を止めたいなら、大声でないとまるっきり無駄になるのだ。
「た、ただいま」
ダンテがさすがにちょっと気圧されて手を挙げた。
「はい、おかえり」
バージルを見ると、彼の方は何も言わずにさっさと靴を脱いでいる。
「まったく……」
もう一回こぼすと、バージルに何か堅い物でおでこを叩かれた。と同時に、目前が真っ暗になる。
「いたっ……何?」
「それが借りたかったんだろう?」
額に押し付けられたのは、本だった。それも、大判の画集。
「……?……あ。」
バージルの勤務初日の、あのとき借りそびれてしまった画集だ。
「ああ、わざわざ借りてきてくれたの。ありがと」
別にどうしてもこれを見たかった訳じゃないんだけど……気持ちは嬉しい。
「図書館の本が手土産、ねぇ」
ダンテが揶揄うと、バージルは無言で肘鉄を飛ばした。攻撃を予想していたダンテは、軽やかにそれを避け(私が操作していたかつての彼とは俊敏さが桁違いである)、私に向き直った。
「オレからは、これ」
「ん?」
渡された袋はずしりと重い。
「何?」
「開けてみろって」
促されるまま開けると、大量のクラッカーに手持ち花火がごちゃごちゃと詰め込まれていた。
「うわあ」
さっきぎゃーぎゃーと玄関先で喧嘩していたのは、このことか。
「パーティーシーズンだし、いいだろ?」
「まあね……」
真冬に花火か。
ちょっとわくわくする。
「新年のカウントダウンに、公園でも行って花火で遊ぶ?」
「いいね!」
「お前達だけで行け」
「誰もあんたなんか誘ってないだろ?」
「え、バージル行かないの?馬鹿らしいかもだけど、遊んでみたら意外と楽しいもんだよ」
「……。」
付き合っていられないとばかりに、バージルは背を向けた。
(フィフティ・フィフティだな)
(素直じゃないよね)
私とダンテは目で会話した。
いや、50パーセントよりはもうちょっとだけ、一緒に遊ぶ確率が高いかもしれない。
花火の詰め合わせから顔を上げると、不意に、何か濃い匂いが立ち込めていることに気付いた。
「ねえ。何か匂いしない?」
「やっと気付いたか!」
ダンテは嬉しそうにもうひとつ何かを持ち上げた。
それは開けてみなくても分かった。ものすごく大きい真四角のトレイ──ピザに決まっている。
「給料日だし、かなり奮発しちまった」
「ツケで買わないだけ進歩したよね」
トッピングしまくったのか、やたら重いピザを受け取ってテーブルに乗せると、そこには既に先客がいた。
「何これ」
「……スシじゃねぇか」
お寿司はバージルの好物である。
あのバージルも、初給料日で浮かれていたのか。意外にも一人前ではなく、ちゃんと三人前以上ある。
「うわぁ。あやしいスシじゃなくて、丸い桶のお寿司だ!これ相当したんじゃない?」
バージルは答えない。
代わりに、私のシャンパンと、手の込んだ煮込み料理を指差した。
指摘されると何だか恥ずかしい。
「……最初の給料日だけ、だからね!」
「ちぇ、また明日から粗食か」
ダンテが楽しそうに笑った。
私が料理を盛りつけ、ダンテがピザを、バージルが寿司桶の包みを解く。
取り合わせも何もあったものじゃないけど、とにかく食卓が賑やかになった。
「初給料を祝して!」
ぱぁん!と、ダンテがさっそくクラッカーを鳴らした。
「煩い、クラッカーまで使う程のことか?」
「まあまあ。一ヶ月、二人ともマジメに働いたんだから、たまには騒ごうよ」
舞い散る紙吹雪と、シャンパンとワイン煮込みとピザと寿司。
おばあさんもにっこりの、立派なお祝いだ。
「そういやオレ、ちゃんとした給料明細もらうのなんて初めてかもな」
「どれどれ」
ダンテから明細を見せてもらい、驚愕した。
「ちょっと、ねえ!ボーナスついてるよ!?」
「お、やっぱり?面接で聞いてたより額が多いな、って思ったんだよ」
呆れた。
どれだけあの店は儲かったのだろう。
私は話題に絡まず一人酒している、もう一人をちらりと見てみた。
「ダンテはボーナス出たくらい頑張ったけど、バージルの方はどうなの?」
ふん、とバージルは鼻で笑った。
「公務員に臨時ボーナスは無い。……が、俺の図書館が貸し出し冊数国内一位の賞状を授与された」
「あ、あんな小さいとこが……」
バージルも上手いことやっているようだ。
私としても、二人と暮らすようになってからというもの上がり続ける一方だったエンゲル係数に補助が出るようになって、大助かりだ。
だけど、こんなに平和でいいんだろうか。
この生活に慣れてしまっていいんだろうか。
ふと、
「けど、こんなに金あんなら、もっと広いとこ移れるよな」
ダンテがぽつりと呟いた。
「ああ。一軒家も狙えるだろう」
バージルがグラスを傾けた。
「引っ越すの?」
私は彼らを交互に見た。
──そうか。資金があるなら、何も私と一緒に暮らす必要もない。
これまで考えてもみなかった。が、言われてみれば当然のことだった。
「そっか。そうだよね……」
私としても結構なことだ。邪魔な男物の靴や服やソファがなくなって、部屋が広くなる。
だけど──
(これがお別れパーティーになるのかも)
一気に気分が重くなってしまった。
おめでとう、なんてとても言えない。
俯いた頭に、
「立地や間取りはが決めていい」
バージルが言った。
「その代わり、面倒な手続きも任せだからな」
ダンテが言った。
私の思考が止まった。
……ん?今、彼らは何て?
「最低でも一人一部屋。書斎もあった方がいい。リビングは広く、風呂とトイレは多い方がいいが」
「あと、トイザまスに近いと助かるな。出来るだけ長く寝てたいし」
会話は続く。私ひとりを取り残したまま。
「シャンパンが終わった。何か買って来い」
「何で当たり前にオレに言うんだよ。宅配で適当にビールとかでいいだろ。ピザも食い終わっちまったし」
ダンテが電話を取り上げた。
宅配。ピザ。アルコール。
そこで、やっと私の思考が追いついた。
「ま、待って!」
慌てて受話器を置かせる。
「なんだよ」
ダンテもバージルも、不思議そうにこちらを見ている。
──ただの一言を声に出すまで、相当の勇気が必要だった。ふかく息を吸って、
「だって、節約、しなくちゃでしょ?みんなで大きい家に引っ越しするために」
ひといきに言った。
どれだけ無言だったのか、それともしんと静かだったのは一瞬だったのか。
双子は顔を見合わせて微笑した。
「節約か。仕方ないな」
「世帯主の命令だもんな」
世帯主。
そういえばそうだった。嬉しいことに、今のところは、まだ。
(二人はいつまでこっちに居てくれるつもり?)
いつか聞かなくちゃいけないと思っている質問を、私はまた飲み込んでおいた。
もうしばらく、このミッションを続けたい。
二人がそれでいいのなら。
「じゃ、じゃあ……改めて、初給料おめでとう!」
私は空になったグラスを、ダンテとバージルそれぞれのグラスに合わせて鳴らした。
その後、三人で代わるがわる自転車を押して、ビールを買いに出た。
空にはCGみたいにまるまる綺麗な月が浮かんでいた。



そうそう、それから。
カウントダウンの花火大会は、全員参加だったと書いておく。







→ afterword

いつか続きを書こうと思っていたトリップ話です。
双子が現実で仕事したら……というのは、それこそ山のようにネタを考えたりお話ししたりしてニヤニヤしています。だってどれもお似合いで!(笑
今回はそのうちの一つを書けて、幸せでした。

それでは最後までお読みくださって、どうもありがとうございました♪
2013.12.23